作品紹介
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作品紹介

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小磯良平 (こいそ りょうへい) 『T嬢の像』

T嬢の像 制作年 1926
寸法(タテ×ヨコ) 116.8×91
技法等 絹本彩色
重要文化財
兵庫県立美術館

[情報]
小磯良平 (1903-1988)
近代日本画の先駆者で、戦前の京都画壇を代表する大家。東の大観、西の栖鳳とも称された。大観と同様、第1回文化勲章受章者。
その画風は四条派を基礎としているが、狩野派の他に西洋の写実画法などを意欲的に取り入れており、革新的な画風を示すことで日本画の革新運動の一翼を担った。36歳の時には、7ヶ月かけてヨーロッパを旅行し、ターナー、コローなどからの影響も受けている。
弟子の育成にも力を入れ、画塾「竹杖会」を主宰。上村松園をはじめ、土田麦僊、小野竹喬、橋本関雪ら名だたる俊英を輩出している。また、動物画に連なる名手として、西村五雲、山口華楊がいる。
『班猫』は、「究極の猫」とも言われている。その極意は「写実を突き詰め、突き抜け、写意に至る」。

岡田三郎助 (おかだ さぶろうすけ) 『あやめの衣』

あやめの衣 制作年 1927
寸法(タテ×ヨコ) 80.5×53.2
技法等 絹本彩色
ポーラ美術館

[情報]
岡田三郎助 (1869-1939)
村上華岳、小野竹喬らとともに国画創作協会(村上華岳『裸婦図』の項参照)を立ち上げ、中心的存在として意欲的に活動した。
ルノワールやゴーギャンに傾倒し、伝統的な日本画に西洋絵画の重厚なマチエールや合理的な空間把握、幾何学的な構図などを取り入れた新たな絵画の創造を目指していた。
1921年には竹喬らとともに渡欧し、約1年半(竹喬は約半年で帰国)に亘り、西洋絵画の研究と制作を行っている。
『舞妓林泉』は、渡欧旅行の帰国後に制作された作品で、その遊学の成果が表れている。



長谷川利行 (はせがわ としゆき ) 『酒売場』

酒売場 制作年 1927
寸法(タテ×ヨコ) 53.3×65.5
技法等 絹本彩色
愛知県美術館

[情報]
長谷川利行 (1891-1940)
村上華岳、小野竹喬らとともに国画創作協会(村上華岳『裸婦図』の項参照)を立ち上げ、中心的存在として意欲的に活動した。
ルノワールやゴーギャンに傾倒し、伝統的な日本画に西洋絵画の重厚なマチエールや合理的な空間把握、幾何学的な構図などを取り入れた新たな絵画の創造を目指していた。
1921年には竹喬らとともに渡欧し、約1年半(竹喬は約半年で帰国)に亘り、西洋絵画の研究と制作を行っている。
『舞妓林泉』は、渡欧旅行の帰国後に制作された作品で、その遊学の成果が表れている。



佐伯祐三 (さえき ゆうぞう) 『ガス灯と広告』

ガス灯と広告 制作年 1927
寸法(タテ×ヨコ) 65.0×100.0
技法等 絹本彩色
重要文化財
東京国立近代美術館

[情報]
佐伯祐三 (1898-1928)
御舟の画業は、初期には「新南画」と言われた今村紫紅の影響を受け、琳派の装飾的画面構成や西洋画の写実技法を取り入れつつも、1つの様式にとどまることなく、写実に装飾性と象徴性を加味した独自の画境を切り拓いた。従来の日本画にはなかった徹底した写実、細密描写からやがて代表作『炎舞』のような象徴的・装飾的表現へと発展する。日本画の将来の担い手として嘱望されたが、40歳のとき腸チフスで急逝した。
『炎舞』は、御舟の最高傑作として、また近代日本画史上における傑作として名高い。作品では、蛾が炎に魅せられているかのように舞う、緻密な写実と幻想が融合している。背景の闇は黒に朱を混ぜ、礬水(どうさ)を引かずに絵具が絹面ににじむようにして描いたもので、単なる黒ではない深い闇を表現している。

佐伯祐三 (さえき ゆうぞう) 『郵便配達夫』

郵便配達夫 制作年 1928
寸法(タテ×ヨコ) 80.8×65.0
技法等 紙本金地彩色
重要文化財
大阪市立近代美術館建設準備室

[情報]
佐伯祐三 (1898-1928)
『炎舞』の項を合わせて参照。
『炎舞』も素晴らしい作品だが、こちらも近代日本画史上の最高傑作の一つに違いない。
『名樹散椿』は、京都市北区にある昆陽山地蔵院(俗称椿寺)の樹齢400年といわれた古木を描いたもの。今は枯れてしまって見ることはできないが、白・紅・桃色・紅白絞りと種々の華麗な花を咲かせ、しかも山茶花のようにひとひらずつ散る五色八重散り椿として有名だった、らしい。
背景の金地は金箔でも金泥でもなく、金砂子(金の細粉)を一面に撒き散らす「撒きつぶし」という技法が用いられており、これによって金箔と金泥の中間的な質感、つまり、光沢が抑えられるとともにフラットな金地が実現している。

前田寛治 (まえた かんじ) 『棟梁の家族』

棟梁の家族 制作年 1928
寸法(タテ×ヨコ) 131.0×162.5
技法等 彩色
重要文化財
鳥取県立博物館

[情報]
前田寛治 (1896-1930)
梶田半古の門下となり、小林古径と出会う。また、紅児会に参加し、今村紫紅、安田靫彦らの俊英とともに研鑚を積む。37歳のとき、小林古径とともに日本美術院から1年間のヨーロッパ留学の機会を与えられ渡欧している。
歴史画を主軸に風景、風俗、花鳥、人物と幅広く描く。小林古径、安田靫彦と並んで院展の三羽鳥と言われた。本人によれば、「歴史画といっても、結局は美しいものの創造であり、歴史を借りて自分の夢を描くものだといえましょう。」
戦後においても独自の画風を発展させ、日本画壇の発展に大きく貢献している。弟子に平山郁夫。
『洞窟の頼朝』は、青邨の前期武者絵の総決算と言われる作品。

古賀春江 (こが はるえ) 『海』

海 制作年 1929
寸法(タテ×ヨコ) 130.0×162.5
技法等 絹本彩色
重要文化財
東京国立近代美術館

[情報]
古賀春江 (1895-1933)
『極楽井』 の項を合わせて参照。
『髪』は、古径の線描の特色がいかんなく発揮された名作で、古径の最高傑作と言われている。
簡潔に力強く描かれた線と単純な色彩により、髪の毛一本一本や美しく縁取られた顔の輪郭、半裸の女性の体温や皮膚の柔らかい感触まで、繊細に描き出している。この作品は、裸体画として、日本で初めて切手のデザインとなった。

坂本繁二郎 (さかもと はんじろう) 『放牧三馬』

放牧三馬 制作年 1932
[ 上:右隻 下:左隻 ]
寸法(タテ×ヨコ) 79.6×99.0
技法等 絹本彩色
ブリヂストン美術館

[情報]
坂本繁二郎 (1882-1969)
当初は西洋画を学んだが、1913年の訪米後は日本画に転向する。日本美術院同人となるも、当時の繊細で優美な作品が持てはやされる風潮のなか、「床の間芸術」と一線を画した「会場芸術」としての日本画を提唱して「青龍社」を旗揚げし、独自の芸術を切り開いた。
日本画の型を破る奇抜、豪放、大画面の超大作を次々と生み出し、近代日本画の異端者、在野の巨人と呼ばれる。
『草の実』は、金銀泥を用いて紺地に秋の雑草を描いたシンプルな画題であるが、濃紺と金の見事な対比と迫力のある大画面構成が見るものに強烈なインパクトを与える作品となっている。

三岸好太郎 (みぎし こうたろう) 『海と射光』

海と射光 制作年 1934
寸法(タテ×ヨコ) 162.0×130.8
技法等 絹本彩色
重要文化財
福岡市美術館

[情報]
三岸好太郎 (1903-1934)
竹内栖鳳らに学び、京都を中心に活躍。出世作に大正10年(1921年)の『鯉』という作品があり、水の中の鯉の僅かな遠近の差異を、精妙な色使いと濃淡によって見事に描き分けている。
『漣』は、プラチナ箔の上に群青一色で水面に揺れる波だけを描くという、それまでの日本画の常識を覆す斬新さによって画壇に衝撃を与えた作品。
日本画モダンの象徴的作品であり、近代日本画が新境地を開いた先駆的な試みとして高く評価されている。プラチナ箔の下に金箔が重ねられていたことが近年の修復で判明。

安井曽太郎 (やすい そうたろう) 『金蓉』

金蓉 制作年 1934
寸法(タテ×ヨコ) 96.5×74.5
技法等 絹本彩色
重要文化財
東京国立近代美術館

[情報]
安井曽太郎 (1888-1955)
京都画壇を代表する女流画家。凛として気品あふれる正当的美人画を描き続けた。子に日本画家の上村松篁がいるが、未婚の母として相手については多くを語っていない。
女性の社会進出を厭う保守的な日本画壇の中で、ひたむきに、孤高に絵筆を握り続けた。
『母子』は、母を追慕する格調高い作品。同時にこの作品の発表には、当時の帝展出品作の傾向への批判や、当世風俗において急激な西洋化により古き良きものが失われていくことに対する懸念が込められていると言われている。

梅原龍三郎 (うめはら りゅうざぶろう) 『桜島』

桜島 制作年 1935
寸法(タテ×ヨコ) 65.5×80.5
技法等 絹本彩色
重要文化財
東京国立近代美術館

[情報]
梅原龍三郎 (1888-1986)
『母子』の項を合わせて参照。
『序の舞』について松園は次のように語っている。「何ものにも犯されない女性の内に潜む強い意志をこの絵に表現したかった。一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香り高い珠玉のような絵こそ、私の念願するものなのです。」

靉光 (あいみつ) 『眼のある風景』

眼のある風景 制作年 1938
寸法(タテ×ヨコ) 102.0×193.5
技法等 絹本彩色
重要文化財
東京国立近代美術館

[情報]
靉光 (1907-1946)
『母子』の項を合わせて参照。
『序の舞』について松園は次のように語っている。「何ものにも犯されない女性の内に潜む強い意志をこの絵に表現したかった。一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香り高い珠玉のような絵こそ、私の念願するものなのです。」

荻須高徳 (おぎす たかのり) 『モンマルトル裏』

モンマルトル裏 制作年 1940
寸法(タテ×ヨコ) 72.0×90.0
技法等 絹本彩色
東京国立近代美術館

[情報]
荻須高徳 (1901-1986)
上村松園とともに日本を代表する女流画家。1932年、37歳で女性初の日本美術院の同人(どうにん)となり、後年、理事長も務めている。
彼女が本格的な活動をはじめた昭和初期は、明治以降の日本画がひとつの頂点を極めるとともに、新たな展開を求められていた時代であった。『浴女 その一』を発表し画壇に新風を吹き込んだ遊亀は、戦後も次々と意欲作を発表し 日本画の新たな表現に果敢に挑戦していった。
『浴女 その一』は、当時の日本画としては珍しいヌードの女性を描いてるが、湯に浸かる肌の色と裸体のしなやかな輪郭線に清廉な女性美を見出している。また点と線、直線と曲線、線描と着彩、白色と緑色、二人の女性など、対比することで差異は強調され、見る楽しさが増す。小倉遊亀の作品は、豊かな日常感覚に支えられた明るく明快な造形によって、多彩な魅力に満ちている。
『浴女 その二』は、翌年に発表した作品で『その一』と対になっている。

松本竣介 (まつもと しゅんすけ) 『立てる像』

立てる像 制作年 1942
寸法(タテ×ヨコ) 162.0×130.0
技法等 絹本彩色
神奈川県立近代美術館

[情報]
松本竣介 (1912-1948)
『行く春』の項を合わせて参照。
『彩雨』は、日本の原風景とそこに生活する人々を、独自の温和な風景描写で情緒豊かに描き出した作品。玉堂は晩年にかけて、現代人に郷愁を抱かせる、このような日本の良き風景の作品を多く手掛けている。

鶴岡政男 (つるおか まさお) 『重い手』

重い手 制作年 1949
寸法(タテ×ヨコ) 130×97
技法等 絹本着色
東京都現代美術館

[情報]
鶴岡政男 (1907-1979)
近代日本の美人画家として上村松園、伊東深水と並び称せられる。作品は風景画などはまれで、ほとんどが人物画であり、単なる美人画というよりは明治時代の東京の風俗を写した風俗画というべき作品が多い。
『一葉』は、「雨の夜」という一葉の随筆を読んだ後に描いた作品。鏑木清方は樋口一葉に心酔しており、一葉を題材とした作品も多い。

海老原喜之助 (えびはら きのすけ) 『船を造る人』

船を造る人 制作年 1954
寸法(タテ×ヨコ) 162.0×130.5
技法等 紙本彩色
北九州市立美術館

[情報]
海老原喜之助 (1904-1970)
「昭和の国民画家」と称され、現代日本画を代表する画家として活躍した。自然風土を深い郷愁をたたえた作風で詩情豊かに描き続けた。
『残照』は、1947年の戦後第3回日展で特選を得た作品で、これが転機となり、以降、風景を題材に独自の表現を追求した。

岡本太郎 (おかもと たろう) 『燃える人』

燃える人 制作年 1955
寸法(タテ×ヨコ) 212.5×308.5
技法等 絹本彩色
東京国立近代美術館

[情報]
岡本太郎 (1911-1996)
清貧の中、50歳の時に奄美大島に移り住む。そこで、亜熱帯の植物や鳥などを鋭い観察により繊細に描きだし、独特の画風と独自の画境を確立した。しかし、奄美に渡った後も中央画壇には認められぬまま、無名に近い存在で個展も実現しなかった。
『白い花』は、1947年、川端龍子主催の第19回青龍社展に入選した作品。後年の奄美時代の作品ではないが、一村が生きているうちに認められた唯一の作品なのだろう。しかし一村は、この後、川端と意見が合わず青龍社からも離れることになる。

麻生三郎 (あそう さぶろう) 『赤い空』

赤い空 制作年 1956
寸法(タテ×ヨコ) 116.5×91.0
技法等 絹本彩色
東京国立近代美術館

[情報]
麻生三郎 (1913-2000)
清貧の中、50歳の時に奄美大島に移り住む。そこで、亜熱帯の植物や鳥などを鋭い観察により繊細に描きだし、独特の画風と独自の画境を確立した。しかし、奄美に渡った後も中央画壇には認められぬまま、無名に近い存在で個展も実現しなかった。
『白い花』は、1947年、川端龍子主催の第19回青龍社展に入選した作品。後年の奄美時代の作品ではないが、一村が生きているうちに認められた唯一の作品なのだろう。しかし一村は、この後、川端と意見が合わず青龍社からも離れることになる。

梅原龍三郎 (うめはら りゅうざぶろう) 『富士山図』

富士山図 制作年 1956
寸法(タテ×ヨコ) 89.5×115.8
技法等 紙本彩色
個人蔵

[情報]
梅原龍三郎 (1888-1986)
東京美術学校入学後、洋画から日本画へ転科し松岡映丘の指導を得る。しかし、新しい日本画の創造を目指し、流派を超えた交流のなかで独自の絵画領域を広げていく。戦後は、新日本画への姿勢がより一層明確に打ち出され、知的でモダンなスタイルを確立する。
『山湖』は、戦後、日本画が急速に西欧近代絵画を吸収するなかで、漫然とした概念的な自然描写を排した「もっと明るく、もっと複雑な、もっと強い、もっとリズミカルな」表現を目指して、卓越した感性によって、新鮮な画面、明るく近代的な造形を創造した、一連の「蓬春モダニズム」の最初の作品。

香月泰男 (かづき やすお) 『1945』

1945 制作年 1959
寸法(タテ×ヨコ) 72.8×116.2
技法等 絹本彩色
山口県立美術館

[情報]
香月泰男 (1911-1974)

髙山は、東山魁夷、杉山寧と並んで日展三山と評され、昭和の日本画壇をけん引してきた。晩年の作品は、筆を細かく打ちつけるような点描風のタッチが重ねられ、独特の空気感で画面が埋め尽くされている。
人間、風景、静物などを題材に、幻想的な深い色彩で神秘的な心象を描き出してきた。
『少女』は、1949年(昭和24年)の日展で特選となった比較的初期の作品。作風にはゴーギャンの影響がみられる。この頃から独自の幻想的な画風が定着する。

東郷青児 (とうごう せいじ) 『望郷』

望郷 制作年 1959
寸法(タテ×ヨコ) 116.10×90.7
技法等 絹本彩色
損保ジャパン日本興亜美術館

[情報]
東郷青児 (1897-1978)
『残照』の項を合わせて参照。
『道』は、『残照』に引き続きいて大きな評価を得た魁夷の代表作。「遍歴の果てでもあるし、遍歴の始まりでもある道を描きました。」

熊谷守一 (くまがい もりかず) 『岩殿山』

岩殿山 制作年 1960
寸法(タテ×ヨコ) 65.5×81.0
技法等 彩色
京都国立近代美術館

[情報]
熊谷守一 (1880-1977)
鏑木清方に入門。浮世絵の流れを汲む風俗画家として、伝統を継承しながら、常に新しい画風を試み制作活動を行った。描写力に優れ、健康的で明朗な美人画を描き、多くの人に親しまれた。
『夢多き頃』は、 独自の群像形式を確立した記念碑的な作品。モデルは、自分の娘の朝丘雪路らしい。

向井潤吉 (むかい じゅんきち) 『六月の田園』

六月の田園 制作年 1971
寸法(タテ×ヨコ) 80.5×100.0
技法等 綿布彩色
世田谷美術館

[情報]
向井潤吉 (1901-1995)
横山操の作風は、力強い漆黒と、にじみ出てくるような鮮やかな色が特徴的で、作品にはほとばしる激情と、深い寂寥感が混在する。見た目には洋画に近い。
戦後の日本画においてひときわ個性的な存在であったが、同じく昭和期に活躍した加山又造とともに日本画壇をリードしてきた。シベリア抑留の経験を持つ。
『塔』は、第29回青龍展出品作。東京都台東区谷中の五重塔が無理心中の男女によって放火、炎上。消失後のその様子を描いたもの。ダイナミックかつ抽象的で前衛書道のような趣がある。

増田誠 (ますだまこと) 『Brittany Boats - 724』

Brittany Boats - 724 制作年 ----
寸法(タテ×ヨコ) 73.7×76.2
技法等 紙本彩色
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[情報]
増田誠 (1920-1989)
日本画革新運動の指導者として活躍。厳しい自然を骨太に描いた力強い画風から、晩年はより詩精神の高い抒情的作風を示した。弟子に上村松篁や加山又造。
『真昼の火山』では、金銀の箔や泥(でい)に対して斬新なアプローチを行い、山の力強さを表現している。

中川一政 (なかがわ かずまさ) 『向日葵』

向日葵 制作年 1981
寸法(タテ×ヨコ) 116.7x90
技法等 紙本彩色
真鶴町立中川一政美術館

[情報]
中川一政 (1889-1990)
梶田半古に入門、半古と兄弟子の小林古径の指導を受ける。大器晩成であったが、戦後は現代日本画を代表する傑作を多く発表した。
『鳴門』は、奥村土牛自身の最高傑作の一作であり、近代日本画のなかでも傑作の一つに数えられることの多い作品。群青、白緑、胡粉をていねいに塗り重ね、海の深さと渦の激しさを表現している。

野見山暁治 (のみやま ぎょうじ) 『ある証言』

ある証言 制作年 1992
寸法(タテ×ヨコ) 130.0×324.2
技法等 紙本彩色
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201109300226.html

[情報]
野見山暁治 (1920- )
梶田半古に入門、半古と兄弟子の小林古径の指導を受ける。大器晩成であったが、戦後は現代日本画を代表する傑作を多く発表した。
『鳴門』は、奥村土牛自身の最高傑作の一作であり、近代日本画のなかでも傑作の一つに数えられることの多い作品。群青、白緑、胡粉をていねいに塗り重ね、海の深さと渦の激しさを表現している。

絹谷幸二 (きぬたに こうじ) 『祝世界遺産 朝陽日本一富嶽清流』

祝世界遺産 朝陽日本一富嶽清流 制作年 2014
寸法(タテ×ヨコ) 72.7×91.0
技法等 紙本彩色
http://www.kinutani.jp/

[情報]
絹谷幸二 (1943- )
梶田半古に入門、半古と兄弟子の小林古径の指導を受ける。大器晩成であったが、戦後は現代日本画を代表する傑作を多く発表した。
『鳴門』は、奥村土牛自身の最高傑作の一作であり、近代日本画のなかでも傑作の一つに数えられることの多い作品。群青、白緑、胡粉をていねいに塗り重ね、海の深さと渦の激しさを表現している。